郵便受けを開けるのが好きです。理由は子どもの頃、友だちからの手紙が待ち遠しかったから。

自宅の郵便受けを開けるのが好きです。地方ですから都会のように変なチラシも入っていません。ごみ箱行きのDMも少ないですし。それを除いても今でも郵便受けを開けるときはワクワクします。子どもの頃、友だちからの手紙が待ち遠しかったからかもしれません。

*最近新しくなったポスト

郵便が来たらすぐに郵便を取りに行く

私の部屋は、道路に面しているので、郵便配達に来たことが、バイクの音でわかります。自宅の郵便受けも、部屋の真下にあるので配達の人がポストに入れたのもわかります。郵便受けに郵便物が入れば、今でもすぐに取りに行きます。

 

自宅の郵便受けには、毎日たくさんのものが配達されます。

・郵便物
・メール便
・宅配便小型
・ケーブルTVの冊子
・無料タウン誌
・ピザ店などの宣伝チラシ

ものすごく多い日もあれば、まったく入っていないときもあります。
地方ですから、都会のように変なチラシや、求人誌、いかがわしDMなど
ほとんど入らないのがいいところです。

そんな中には、私宛のものもたくさん入っています。
例えば

・年金や、健康保険に関するハガキ
・所属している協会からの手紙
・所属している団体の機関紙
・ショップからのDM
・金融機関からのハガキや冊子

などです。
配達する人も、郵便局、メール便、宅配業者、タウン誌を配達するバイトなど様々です。
何かしら私に関係するものが配達されているのもあるかもしれませんが、
昔から郵便受けを開けるのが好きでした。

小学生の頃から、手紙を出したり、もらったりしていました。
友だちからの手紙が来ることを楽しみにしていたからかもしれません。

友だちからの手紙

今でも郵便受けを開けるのが好きなのは、おそらく子どもの頃、友だちからの手紙が来ていないか、毎日開けていたからかもしれません。

 

小学生の頃、ラグビースクールに入っていました。
大学4年間、ラグビーをやったのは小5年のパスがきっかけ

福井市のラグビーチームと交流をしていて、年に一回、行ったり来たりをしていたのです。
試合のあと、同じポジションの子と、プレゼント交換をするのが決まりでした。
私と交換したのは福井運動公園前に住んでいる角(かく)くん。
絵と手紙をもらったのをきっかけに2年ほど手紙のやり取りをしたのです。

お互いに、多くの回数を出したわけではありませんが、イラストが上手かったのと、
字が大きく、丸文字だったのを今でも覚えています。
頻繁ではなかったのですが、手紙を書いた次の日から、返事が待ち遠しくて
毎日郵便受けを見ていたのを覚えています。

小学校を卒業した後は、自然に疎遠となってしまいました。
手紙のやり取りの楽しさを、はじめて体験できたのは角くんのおかげです。

数年前、福井運動公園で講習会があったときは、なつかしさいっぱいでした。

次に手紙の交換したのは、今でも友人である石田君。
5年生の時、私が手首を骨折したのをきっかけに友だちになりました。
今から35年以上前のことですが、今でも友だちです。

6年生で同じクラスになり、友人が親友に変わりました。
中学1年の途中で四国に転校しましたが、それをきっかけに手紙の交換をはじめました。

私が大学4年の時まで、手紙のやり取りが続きましたから
9年ほど続いたことになります。
石田君も文のセンスがよく、いつも手紙がくるのを楽しみにしていました。
彼は現在、大手電機会社のSEをやっています。

私は高校を卒業後、進学のため金沢を離れます。
今のようにスマホはありませんし、SNSもありません。
東京からの電話はテレホンカードで、数分の通話で500円が消えました。

手紙が中心です。
大学の合宿所(2年生からは完全に寮か合宿所)には毎日手紙が届きました。

母、祖母、母方の祖母、石田君、中学・高校の同級生(男女関係なく)などからです。
合宿所に毎日大量に届く手紙の中から、自分宛の郵便を探すのが楽しみで仕方がありませんでした。

母や両祖母からの手紙には、ときどきお金も入っていて、手紙の内容以上に喜んでいました。
(昔は今ほど厳しくはなかったのでしょう)

今はありませんが、すべて保存してあった時期がありました。
小さい段ボール箱いっぱいでした。

そんな20年以上前の記憶が、今でも郵便受けを開けるのを
楽しみにしているのかもしれません。

 

手紙は全く書かなくなってしまったけれど

今では、まったく手紙を書くことがなくなりました。とても懐かしい思い出です。

 

今年の9月、ポケットベルのサービスが終了しました。
50年前サービスが開始され、80年代後半には任意の数字を表示することができ、
高校生の間で大ブームになりました。
私は持っていませんでしたが、学校にある公衆電話から
友だちにメッセージを送っていました。

休み時間、公衆電話に長蛇の列ができるのを見かねた学校が、
「#」だったか「*」を接着剤で固めて押せなくしたのはびっくりでした。

それから、PHS、ケータイ、ドコモiモードメールになり、
だんだんと私を含め手紙を書くことが少なくなってきたのです。

 

今では高校生や大学生が手紙を交換しているのは不思議かもしれません。
まして男同士ですから、中学の女子から言わせれば「キモイ」と
言われるかもしれませんが……。
そんな時代だったのです。

 

小学校の角君からはじまり、大学時代の石田君まで、
母親、両祖母をはじめ多くの人に手紙をたくさんもらいました。
青臭いかもしれませんが、何度も手紙に助けられたか分かりません。
私の生命線だったこともあります。

 

考えてみると、もらった半分ぐらいは私も手紙を書いているはずです。
どんなことを書いたのかは、まったく覚えていません。
覚えていたら反対に恥ずかしいでしょう。
「気持ち」のやり取りをしていたと思うと不思議な感じです。

母はまだ健在ですが亡くなった両祖母は、どんな思いで
孫に手紙を書いていたのでしょう。
心配だったことだろうと想像できます。
そう思うと少し、「うるっ」とくる年に私もなりました。

 

今日のウォーキングの時、郵便ポストを見て、この記事にしてみました。
郵便受けも好きですが、手紙を出すポストも同じような理由で
大好きだからです。

私よりかなり下の人には意味が分からないかもしれません。
私と同世代、もしくは上の世代の方に読んでもらい
何か、なつかしく思っていただければ嬉しいです。

 

【編集後記】

久々に友人と外食。
連休の中日なのか、どこも予約なしでは入れませんでした。
夕食難民でしたが、6件目でようやく入ることができました。
上品な焼肉屋さんでした。
結果オーライです。

 

【昨日のOnce a day】一日一回新しいことを

・和香居 カニ玉

 

 

 

おしらせ 2  
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